こころ塾だより

今ある「幸せ」に気づく

丹下坂心理カウンセラー
高島心理カウンセラー

今月もこころ塾初級コースの修了式がありました。
これまで、こころ塾でのワークや瞑想を通して、知らなかった自分に気づいていきました。
時には、あまり気づきたくなたかった自分やこころとの出会い。

自分のこころと向き合うというのは、時に困難を伴うものです。
そんなとき助けになるのは、教える立場の私たちよりも、共に学んでいる仲間なのかもしれません。

「あの人もあんな大きな辛さを抱えているんだ」
「自分だけが苦しいんじゃない」
「あの人もがんばっているんだ。私もがんばろう」
実際、仲間の存在が励みになるというのは、よく耳にします。

今回の修了式は、交通事情や体調不良で急遽参加できない方がいて、いつもの期の半分程の人数で行いました。
ちょぴり寂しい修了式でしたが、その分参加者の思いをゆっくり聞くことができました。
こころ塾に期待していたことや学んだ成果。
そして、期待していたのに得られなかった残念な思いなど。

「一緒に修了したかったですね」
不意に男性修了生が言いました。
来ていない他の修了生たちを思い浮かべてしみじみと。
その言葉からは、共に自分のこころと向き合う困難を乗り越えた仲間。
その仲間と一緒に修了できない残念さが伝わってきました。

そして、その残念さの裏にある敬意。
何より、それぞれ困難を乗り越えてきたんだという仲間意識。
参加できなかった修了生のうちの一人は、男性修了生の娘さんほどの年齢なのですが。
それでも、年齢や性別といったの違いよりも、仲間なんだという意識。
同志という言葉がぴったりくるかもしれません。
その同志がいない。

2018年。
北海道に大きな困難が訪れました。
地震、そしてブラックアウト。
函館でも、長時間にわたり電気が停まりました。
それまで当たり前に存在していたものが、突如なくなりました。

そして、人はなくなってみて、初めてありがたみに気づきます。
スイッチを押せば明かりが点く。
これまで当たり前にあったものがなくなってみて初めて、その当たり前ががどんなに幸せなことであったのか気づくんです。

電気だけではありません。
例えば健康。
今こうして見えている幸せにはなかなか気づけないものです。

訓練を積んだ宇宙飛行士ですらそうです。
不測の事態に陥り、死を覚悟した宇宙飛行士が思うこと。
それは、もう一度この足で地面の上を歩きたいということ。
死を前に、今まで味わったことのない幸せを求めるのではなく、今まで普通にあった幸せを求めるのだそうです。


私たちは、幸福が未来にだけあると考えます。
これは私たちが最もよく陥りがちな、間違った考えの一つなのです。
私たちは時々、次のようにも考えます。
「こんなはずはない! わたしを幸福にしてくれるものは、まだ不十分だ。
私が幸福になるためには、もっと多くのものが必要だ」と。
それで私たちは、未来のために現在を犠牲にしようとします。

しかし、私たちが現在に完全に存在し、それに没頭するならば、
幸福に存在するために十分過ぎるものを
もっていることが分かります。

静かに座り、あなたが今、この瞬間にもっている
あらゆる幸福の条件を書き出してごらんなさい。
あとは、あなたが驚くことだけが残っているのです。

あなたが現在もっている幸福の条件は、
五枚書いても足りず、六枚にも及ぶからです。

ティク・ナット・ハン


「一緒に修了したかったですね」
そうつぶやいた男性修了生。

次の瞬間、隣にいる共に修了する女性に一言。
「一緒に学んでくれてありがとう」
そして、小さくお辞儀をしました。

「今、ここ」にあるとはどういうことか、その男性が教えてくれている。
こころ塾を続けてきてよかったなと思う瞬間です。

「今、ここ」にあるということ
そして、それが通じ合う仲間
これがこころ塾です。