こころ塾だより

共感

丹下坂心理カウンセラー
高島心理カウンセラー

目の前の相手が言葉にしていないその人の本当の思いを知る技術として、フェルトセンスがあります。

フェルトセンスそのものは、アメリカの臨床心理学者ユージン・ジェンドリンが確立したものです。
現象としては、意味を含んだ曖昧な身体感覚になりますが、捉えどころのないものとして、あまり理解が進んでいないようにも思えます。

このフェルトセンスを日常のコミュニケーション場面にまで応用できるものとして紹介しているのが、日本コミュニケーショントレーナー協会の椎名先生です。
MaNaのスタッフもそこで学び研鑽を深めてきました。

通常のコミュニケーションでは、言葉とその意味に意識が行きがちです。
例えば仲間はずれなことをされて不快だったという話を聞くとします。
相手は、職場でこんなことがあった、こんなこともされたといったことを語ってきます。
相手の言葉を聞き、そのエピソードを自分に疑似的に当てはめます。

そして、「うわあ、なんてひどい目に遭ってるんだ。私はこんなつらい体験をしたことがない」と感じれば、憐みや同情の思いがわきます。
一方で、「え、その程度? 私なんかもっとひどいことされたよ」と感じれば、相手への軽蔑感やもしかしたら不思議な優越感がわくかもしれません。
少なくとも心からの同情はわかないでしょう。

いずれにしても、言葉として表現された内容(エピソード)をどう捉えるかという意味付け、自分の価値観が尺度になるわけです。
これが共感を難しくしている理由です。
つまり、あなたがどんなに相手を大切に思っても、またどんなに思いを込めて話を聞いても、体験や価値観が相手と違えば、共感は生まれないということです。
言葉に意識が行くコミュニケーションをしている限りは。

そこでフェルトセンスを用いたコミュニケーションが重要になってくるわけです。
フェルトセンスを用いたコミュニケーションでは、言葉を追いません。
ひたすら五感を研ぎ澄ませて相手を感じるということをします。

通常のコミュニケーションで相手の話を全く聞かないというのは難しいでしょうが、こころ塾なら大丈夫。
安心・安全の場です。
昨日のBeing会では5分間。
相手が話をする間、話を聞かず、ひたすら話をする相手を感じ続けました。
五感で。

フェルトセンスを用いたコミュニケーションでは、言葉を追いませんから、自分の体験や価値観といったフィルターを通す必要がありません。
「それはひどい」とか「そんなの大したことではない」といったあなたの価値観で判断するのではありません。
そうではなく、相手が体験して感じている感覚そのものを感じていきます。
そうすると、相手の思いがダイレクトに伝わってきます。
伝わってくるというよりはむしろ、自分の内からわき出てくる感じ。

あとはその感覚をそのまま言葉にすればいいんです。
言葉を追っていませんから、相手がどんな体験をしたかはわかりません。
わかる必要もないんです。
どのように感じているかがわかるんですから。
自分のこととして。
これが真の共感です。

フェルトセンス自体は、実は特別な能力ではありません。
誰もが持っているもの。
ただ普段は使わないでいるだけ。
それも長い間。

ずっと使わないでいるから錆びついてはいますが、誰もが持つ能力ではあるんです。
ですから、その能力を信じて解放すればいい。
安心・安全な場で。

実際、昨夜のこころ塾Being会でも、参加者の皆さんが初めての試みだったにもかかわらず、フェルトセンスを用いたコミュニケーションをし、そして
「わかってもらえた」
「聞いてもらえた」
「嬉しい気持ちになる」
と快いコミュニケーションを体験しました。

一年の最後に、こころ塾らしい時を持てたように感じます。