こころ塾だより

結局、自分とは何なのか?

丹下坂心理カウンセラー
高島心理カウンセラー

早いもので4月から始まったこころ塾初級コース第3期も、あと2週間を残すのみとなりました。
この2ヶ月半、呼吸瞑想や微細な身体感覚に気づきを向ける瞑想をこころ塾でも、そして日常でも取り組んできました。

そうする中で観えてきたこと。
それは、思考や感情など、心の中の思いは勝手にわいてくるということ。

例えば、「どうしてあの人はあんな言い方してくるんだよ。絶対許せない!」
といった怒りがわく場面。
その相手を怒る選択・怒る決断を、本当に自分でしましたか?ということ。
ニュートラルな気分で、「どうしようかな。うーん…よし、今回は怒ることにしよう」と自分で決断したのか。
それとも、相手の言葉を聞くや、自動的に怒りの感情が沸いてきたのか。
その心の動きを丹念に探っていきました。

すると、どうやら全部自動的。
勝手に怒りの感情が沸いてきているんです。

中には自分で怒ることを決断したような場面もあると話題になりました。
今回話題になったのは、子どもを注意する場面。

「いつも問題を起こすので、……今回は流せないと感じた。
だから、少し強めに注意することに決めて、実際その通りにした」

一見すると、確かに自分で怒ることを選択して、怒ることに決めて、そして怒ることを実行したように聞こえます。
ですが、どうでしょう?

実際にこころ塾でこの話を受講生がしてくれている時、
問題を起こす子どもの話をし出した途端、受講生の語気が強くなっていました。
非言語が、自動的にわいてきたそのときの怒りの感情を再現しているんです。

そして、「流せないと感じた」
言語でも窺えます。
「流さないことにした」のではないんです。

ですから、どう怒ろうか考えている時には、すでに怒りが沸いているんです。
それも自動的に。
もっと言うと、どのように注意するか考えて、そして実際に実行したのも、全部自動的なんです。
自分で決断なんかしていないんです。

すると受講生から疑問が上がりました。

なるほど、確かに思いは自動的にわいてきます。
だから、思いは自分じゃない。
その思いに、「これが自分だ」って執着する必要もない。
確かに、そうだと思います。
でも…
その思いは自分の中から出てくるんです。
そうなると…結局のところ…

自分とは一体何か?

これは、「実は、自分とは〇〇なんです」と答えをもらうテーマではありません。
言葉や思考を超えたところ。
自分の心の動きを丹念に見ていくうちに、突然すべてが観えてくる。
そういうものです。
そのためには、一人ひとりの実践が欠かせません。
むしろ、それぞれの実践がすべてと言っていい。

そして、こころ塾が提供しているもの。
実践の仕方、その修正、そして受講生同士の交流から生まれるひらめきです。

結局のところ、自分とは一体何なのか?
残り2週間では、正直大きすぎるテーマかもしれません。
とはいえ、初級コース第3期の皆さんが見出したテーマ。
近道はありません。
引き続き、ひたむきな実践を続けていただければと思います。

辿りにつくのに必要なのは、間違いのない実践と、そしてほんのちょっとのひらめきだけですから。