こころ塾だより

自然と優しくなる生き方

丹下坂心理カウンセラー
高島心理カウンセラー

先日、こころ塾新年会がありました。
多数の方にご参加いただき、「こころ」をキーワードにいろいろな話を聞くことができました。
それぞれの人生に、様々な出来事がありました。

いろいろな方のお話を伺う中で共通しているように感じたのは、皆さんが大切な人を大切にしようとしてきたことです。

自分の大切な人を大切にしてきた。
時に大切にできなかった時もあるけど、それでも大切にしようと心がけてきた。
それは大切な人だけでなく、大切な人の家族も。
大切な人の大切な人だから。
ただ場合によっては、相手によっては、自分の優しさが伝わらず苦しい思いもしている…。

素敵な生き方だと思います。
カウンセラーである私たち自身、そのような生き方を心がけてきましたから。

ですが、経験的に言って、そのような生き方は苦しいものです。

自分が強い時はいいんです。
自分が強い状態。
つまり、自分に自信が持てているとき。
そのときは、たとえ善意が通じなくても優しく振る舞えるものです。
多少のことなら自分を犠牲にして、相手のために優しくしてあげることができるものです。

ですが、自分が苦しい状態のときはそうはいきません。
人に優しくするどころか、人からの優しさを求めているわけですから。

ところが、自分が苦しい状態だからといって、簡単に生き方は変わりません。
結果、どうなるか。
苦しい自分に蓋をして、苦しい自分を犠牲にしてでも相手に優しく振る舞い続けます。
その方が馴染んだ生き方だから。

多くの場合、苦しい状態は一時的なものですから、それでも何とかなるんです。
ちょっとしたきっかけで、すぐに自分に自信が持てている状態に戻ります。
ですから、また強い自分に戻って、それほど無理を感じず、人に優しく振る舞える。

けれども、生きている中では、どうにもならない程苦しい状態が続く時があります。
そうなると、いつまでも苦しい自分に蓋をし続けるわけにはいかなくなります。
それでも、多くの場合、生き方を変えるという発想自体が生まれません。
ですから、自分は苦しみに耐え続けながら、相手のためには優しく振る舞うことを続けてしまうわけです。
苦しい自分を放っておいて、相手のために生きる。

そして、いつか限界が来る。
すると、今度はさらに、相手に優しく振る舞ってあげられない自分まで責めるようになっていきます。
「もっと優しくしなくちゃいけないのに」と。
苦しみに無力感が加わり、さらに自責の念すら持つわけです。
それは、とても苦しい生き方です。

意志の力で、自分の思いに蓋をしてまで、無理に優しく振る舞う生き方。
「正しくあるべき」
「優しくあるべき」
・・・
それは、Doingの生き方です。
意志の力で、行動面を律する生き方は必ず破綻します。
素敵な生き方ですが、無理が生じてしまうんです。

こころ塾でお伝えしたい生き方はそうではありません。
私たちがお伝えしたいのは、Beingの生き方。
それは、自然と優しい思いがわいてくる生き方です。

そのためには、苦しみに気づくこと。
自分の中の、相手の中の。
そして世の中の。

憎い、許せないと感じる相手。
その相手の苦しみが見えるとき、聴こえるとき、感じるとき。
そのとき、私たちは自然と優しさ、慈しみを感じるようになります。
自分の内から、愛と慈しみが自然とわいてくるのを感じるようになるのです。

誰にでもできることではありますが、継続したトレーニングが必要です。
生き方といっていいでしょう。
そして、その生き方は、こころの安定を生みます。

こころ塾、そしてBeing会で学ぶ先にあるのはそんな生き方です。
来月以降のBeing会のテーマが見えてきました。