4月Being会のご案内

「生きづらさと私のこころの癖」

高島 昌彦
丹下坂 愛実

私たちは実に多くの「こころの癖」を持っています。
ある出来事が起こると、自分なりの受け取り方をします。
そして、その受け取り方によって快や不快の感情が起き、その感情によって行動をします(行動しないという行動も含めて)。

例えば、眉間にしわを寄せ、大きく目を見開き、まっすぐこちらを見つめる人を想像してみてください。
どうでしょう?
よい感じがしますか?
それとも不快な気分になりましたか?

よい気分になった方は、その人を「真剣な人」と受け取ったのかもしれません。
あるいは「一生懸命な人」と受け取った方もいるかもしれませんね。

一方で、不快な気分になった方は、どんな受け取り方をしたのでしょう?
「威圧してくる人」「不満を持った人」「攻撃してくる人」このあたりでしょうか。

最初に述べた通り、私たちは実に多くの「こころの癖」を持っています。
そして、それ自体には問題はありません。
むしろ、その「こころの癖」は頑張って学んできたものなんです。

ところで、下の図は、ミュラー・リヤー錯視を呼ばれるものです。
どちらの直線が長く見えますか?

図 ミュラー・リヤー錯視

当然、右の線の方が長く見えたことと思います。
ですが、実は右も左も同じ長さなんです。
信じられない方は、画面をスクロールさせて、比較してみてください。
あるいは、プリントアウトして、斜め線を消してみましょう。
錯視効果がなくなり、左右とも同じ長さの直線に見えます。

では、なぜこのミュラー・リヤー錯視が起こるるのでしょう?
イギリスの心理学者R.グレゴリーはこんな風に説明しています。

左の短く見える方は、壁のコーナーがこちらに向かって出っ張っている様子。
そして、右の長く見える方は、壁のコーナーが奥に引っ込んだ様子に見えますよね?
実際に部屋の壁を眺めてみてください。
部屋の奥のコーナーは右側のように、そして出っ張っているコーナーは左のように見えているはずです。

さて、もう一度上の図を見てください。
二つのコーナーにおける垂直線の物理的な長さは同じです。
もうすこし詳しく説明すると、網膜(目の奥にある神経細胞群)に投影された垂直線の長さは同じです。
しかし、上に書いたように、脳は、線が存在する奥行きが違う、と解釈しています。
つまり、右側の(奧に引っ込んでいる)垂直線の方が、左側の(出っ張っている)垂直線より、遠くにあると判断しています。
視覚システムはきわめて賢いことに、「それぞれの奥行きは違うはずなのに、網膜に写っている2本の垂直線の長さは同じだ。ということは、右側の垂直線は、ずっと長いのだな」と判断し、それがミュラー・リヤー錯視を生み出しているのです。
 

さて、なぜ「こころの癖」の話が錯視になるのかと訝しがっているでしょうか。
実は、「こころの癖」もこの錯視とメカニズム的には同じなのです。

「上の図の左の垂直の線と斜めの線。
この5本の線は何を表しているのだろうか。
コーナーであるならば、出っ張りのコーナーだが、そもそもこれは本当にコーナーなのだろうか?」

このようには私たちは捉えません。
そうではなく、見た瞬間に「これは出っ張りのコーナー」と受け取る。
そして、そう受け取ったことを意識にすら上げません。

そして、そう受け取ることでいつもうまく行くんです。
このような線の関係を出っ張りと捉えてうまく行かないのは、おそらくこのミュラー・リヤーの錯視のケースくらいでしょうから。

一方で、「こころの癖」もメカニズム的には一緒です。
こういう出来事はこういうものだと、瞬時に受け取る。
そして、そう受け取ったことを意識にすら上げない。

わかりきった(と思い込んでいる)その出来事をどう受け取るかにエネルギーを費やすよりも、どう対処するかにエネルギーを使った方がはるかに効率的だからです。
そして、ここが落とし穴になるのです。

状況がうまく行かないとき、人は何とか対処しようとします。
行動を変えようとするのです。
何とか怒らないようにしようとか、自分は大丈夫なんだと言い聞かせるとか…
ですが、本当はそもそも受け取り方が偏っているのが問題かもしれないんです。

人は一度学んだ受け取り方を使い続けます。
それでうまく行った経験があるから。
そして、そう受け取っていることを意識にすら上げません。
ここがポイントです。
意識にすら上げませんから、変えようという発想自体がわかないわけです。

当たり前のことですが、私たちは生まれてきてから「自分」しか経験していません。
ですから、その出来事に対するその受け取り方は、当たり前のこと、普通のことなんです。
「自分」にとって。
いつもそうすることで、何の問題もなく(そう受け取ることで「悩む」という問題はありますが、「悩む」ことすら当たり前と思い)今日まで生きてきたのです。

ですが、受け取り方は無数にあります。
その出来事のどこに注目するか、どれくらい注目するか、どのように注目するかは、まさに千差万別です。
人それぞれみんな違うんです。

では、出来事を固定化せず、受け取り方を柔軟に、そして多様にするにはどうすればよいのか。
確実な変化を生むのは、そのように受け取ったことを地道に意識に上げていくことです。
気づいていくこと。
マインドフルネス瞑想などがこれに当たります。

一方で、他者の受け取り方を知り、取り入れることも大きな変化を生みます。
「ああ、そういう受け取りもあるのか」
自分の生きてきた人生だけでは限りがありますから、他者の人生からも学ばせてもらおうというわけです。
他者の人生を取り入れる分だけ、変化も早く、そして効果も大きいものがあります。

それには、批判ではなく、共感的に関われる関係性が大切になってきます。
ですから、その意味からも、Being会で学ぶ体験は、まさにうってつけなわけです。

そもそも正しい受け取り方、間違った受け取り方がある訳ではありません。
どの受け取り方も、状況によっては役立つ受け取り方なんです。
ただワンパターンで使い続けるうちに、生きづらさにつながっている。

ですから、まず生きづらさにつながっている受け取り方に気づくトレーニングをします。
そして、他者の発想を知って、自分の「こころの癖」の偏りを減らすヒントをもらいます。
指摘をされるのではなく、他者の受け取りを知って、取り入れたいものは取り入れましょうということです。
自分だけでは思ってもみなかった多様な受け取り方を知る、それだけでもこころが安定するものです。

コロナの影響で3月に予定していたこちらの内容を、4月にスライドして実施いたします。
日程は、7(火)、21(火)19時から。
Skypeを利用して、オンライン参加もできます。

締め切りは、今月末日3/31(火)。

それでは、興味とご都合がつきましたら、ぜひご参加ください。
お待ちしております。

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