【心身の不調】

いろいろな春

高島心理カウンセラー

2019/3/16

先日まで、ハワイのオアフ島に滞在していました。
海や山、自然の癒しの力の研修として。

ところが、到着した翌日から発熱。
あまりの高熱に(体温計はなかったので正確なところはわかりませんが、体感として…)病院に行くと、インフルエンザとの診断。
さらにインフルエンザのダメージで、他の風邪も併発してしまい、結局帰国が4日も伸びる始末。
当然、自然に親しんで…といった研修もほとんどできずじまいでした。

もちろん診断直後は、この事態をすんなりとは受け入れられませんでした。
受け入れられないまま他にやることもないので、インフルエンザによる全身の痛みや発熱、悪寒といった症状をとことん感じ尽くすことにしました。

横になりながらの瞑想です。
全身の不快な感覚に、ただただ気づきを向けていきました。

するといろんな変化が起こります。
不快な感覚はもちろん不快ではあるのですが、ずいぶんと楽になっていきます。
何より、休むことの下手な自分に気づくことができました。

今回のこの症状がもしも日本で起きていたら…。
仕事のキャンセルや日程調整、電話対応だけでも大変そうです。
家族にかける迷惑を考えても、身の置き場のない感じ。

ところが、ここはオアフ島。
私が1日中寝ていても誰にも迷惑をかけません。
料理も洗濯も掃除も仕事も、やらなければならないことが何一つない状況。

2日間はトイレに行く以外はひたすら横になっていました。
不快な症状を感じる瞑想をして、そのうちウトウト眠りについて。
また目を覚ましては、身体を感じる瞑想。
その繰り返し。

日常のいろんな自分のこころの癖に気づけました。
思っている以上に傷つきやすい自分や、何よりがんばっている自分を見つけました。
自分で自分を認めたくて、ずいぶんとしなくてもいい仕事をしていることにも気づけました。

海外でインフルエンザ。
当初計画していた研修もほどんどできない。
そんな状況だからこそ、多くの気づきがあり、何よりこころから自分をねぎらうことができました。

オアフ島でも季節は冬なのですが、緑が輝き、カラフルな花が咲いていました。
出発した函館は雪の中だというのに。

ところが、そんな景色をホテルの部屋から眺めているだけでも、だんだんと慣れていくものです。
きれいだなあという思いもだんだんと小さくなり、数日経つ頃には感動がなくなっていく。
いつもあるものに、こころは注目しなくなっていく。
当たり前になっていくんです。

ところが北海道ではそうはいきません。
長い冬がある。
何もかもが白い雪に覆われ、モノトーンの世界が数か月続きます。
そして、雪解け。
白い雪に覆われてたところに、少しずつ色がついていく。
変化に敏感になるわけです。

函館も3月中旬。
先日まで雪があったところにも、スノードロップやクロッカスが芽吹き始めています。
気の早いフクジュソウが花開いているところもあります。
春ですね。

先日までモノトーンの世界だったところに咲く花です。
オアフで見たどんな花よりも輝いて見えます。
これが北国の春です。
北国で冬を過ごした者だけが感じられる喜びですね。
(1年中花の咲いているオアフの人を連れて来てフクジュソウを見せても、きっと感動は起きないでしょうから)。


春といえば、別れと出会いの季節。
私の周りでも別れがありました。
転勤、引越し、今日でお会いするのは最後・・・
突然の別れは悲しみを生みます。

私は、受け入れたくない別れの悲しみを感じました。
そして、ただただ感じ尽くしました。

どんなに悲しみを感じ尽くしても、残念な気持ちは今も残っています。
そして、それだけ残念に思うほど、その方とのご縁が自分にとって大切なものであったことに気づきます。
「そうだ。本当に大切な思い出なんだ。失いたくない人なんだ」と。

別れは悲しいものです。
そして、その悲しさの分だけ、こころに花が咲いていることにも気づかせてくれます。
私もその方と、決して派手ではないけれど、かけがえのない花を咲かせました。
お互い同じような苦労を味わった二人ですから。

さて、この花が今後どうなっていくのか。
別れの悲しさの他に、彼の旅立ちを心から祝福する自分がいます。
二人が咲かせた花は、派手さはなくても本物ですから。


執筆者:カウンセリングMaNa 高島 昌彦