【心身の不調】

申し訳ない思いのときに気づいていたいこと

高島心理カウンセラー

2019/1/22

昨年末のつぶやきを記しているときに、こころの状態が思考や行動に与える影響について気づいたことがあったので、述べてみたいと思います。
昨年末のつぶやきについてはこちらをご覧ください。

 

このつぶやきを記しているときに、自分で初めてうつを自覚した時のことを思い出しました。

「おかしい。こころの病かもしない」
初めてそう思った時のことを。

ついでながら、私は自分がうつになっていったことに全く気づきませんでした。
発症してからうつに気づくまで、数か月。
もしかしたら、数年という単位だったかもしれません。
疲れやすさは感じていたものの、
「もっとがんばらねば」
という意識に追われた毎日。

やがて、休日となると、一日中外出もせず、パジャマのまま部屋でダラダラ過ごすようになりました。
けれど、それでも「疲れているんだなあ」としか思わずに過ごしていました。

そんな最中、とうとう病気かもと気づく場面がやってきました。
休日のスーパーの食品売り場。
めずらしく休日に外出した私の視線の先にいたのは、職場で仲のよい同僚の先輩。

次の瞬間、私は自分の行動に愕然としました。
普通なら、まっすぐ同僚のところに行って声をかけるところです。
「こんにちは。お買い物ですか?」と。

ところが、現実には自分の足が突然あらぬ方向に。
そして、陳列棚の陰に隠れたんです。

自分の足が勝手に逃げ出して、自分の身体が勝手に物陰に隠れた感じ。
「何をやってるんだ、おれは!」
自分で自分に驚きました。
「なんであいさつしないんだ。失礼じゃないか」

その職場の先輩とは、年齢も近くいつもかわいがってもらっていましたから、会いたくない理由なんてないはずなんです。
職場だけではなく、プライベートでも一緒に飲みに行ったり、釣りに行ったりしていた間柄ですから。
その彼とばったり会ったのに(彼の方はこちらに気づいていませんが)、あいさつもしないで隠れる自分。

嫌いなわけじゃないのに会いたくない自分がいました。
それを実行している自分が。
そして、会わないで済むことに安堵している自分が。​

会ったところであいさつを交わすだけなんです。
それも一言か二言。
もしかしたら、釣りにでも行こうと誘われたかもしれません。
ですが、簡単に断れるはずなんす。
とても常識的な方でしたから。

なのに、会いたくない自分。
そして、会わないで済むことにほっとしている自分。

そのとき初めて、自分のこころの調子を疑いました。
「おかしい。おれはどうなっちゃったんだ」と。

何が起きていたんでしょう。
実はこれ、こころの状態としては同じなんです。
郵便局での私と。

相手と関わりたくないんです。
いや、関わりたくないんじゃない。
正確に言うと、関われないんです。

もっと言うと、存在していたくない。
自分が、その場に。

もちろん状況は違います。
相手に迷惑をかけて申し訳ないと思っている場面と、うつにいたるほどのストレスが続いていた状態では、明らかに状況は違う。
けれど、こころの状態としては同じです。
程度が違うだけ。
どちらも根底にあるのは、その場に自分が存在していてはいけないということ。

自分がその場に存在していなければ、相手にそれ以上迷惑をかけることはありません。
少なくとも、自分のせいで相手が悪い状態になることはない。
つまり、相手を守れるわけです。
最低限のレベルで。

さらに、なんといっても自分を守れる。
その場に存在していなければ、そもそも傷つくこともないんですから。
忘れていけないのは、郵便局での私は、自分を申し訳ないと思っていたこと。
そして、その申し訳なさを挽回できそうになかった。
だって、ただ待っていることしかできないんですから。

その場に自分が存在していたくないというのは、無力な自分を感じているということです。
そして、人は無力感を持っているとき、相手と関わる意思をなくすんです。
相手と自分を守るために。
だから、「飴をどうぞ」という優しさも断ってしまうんです。
自分が存在していたくないから。

申し訳ない思いのとき。
そして、「その申し訳ない」を挽回できそうにない。
そんな状況のときは、気づいていたいものです。
自分のこころの状態に。
無力な自分を感じていることに。

そうすれば気づくことができます。
無力と感じることで、相手と自分を守ろうとしている自分がいることを。
実はこれって、無力じゃないですよね?

そこまで気づけば大丈夫。
行動は勝手に変わっていきます。

申し訳ない思いのときに気づいていたいこと。
自分の行動をあれこれ悩む必要はありません。
ただ、自分のこころの状態に気づきましょう。
関わりたくないと思っている自分を。
無力と感じている自分を。
無力と感じることで相手と自分を守ろうとしている自分を。
それだけ、相手と自分を大切に感じている自分を。


執筆者:カウンセリングMaNa 高島 昌彦