【高島心理カウンセラーのつぶやき】

都心の気遣い、下町の心遣い

高島心理カウンセラー

2018/4/5
 

東京出張は新宿周辺など都心に泊まることが多いのですが、今回はいわゆる下町地区に宿泊しました。
下町の中でも特に安宿が多い地区です。
外国人旅行者に人気といえば、ピンとくる方も多いかもしれません。

街並みは、相当程度に再開発が進み、抱いていたイメージとはずいぶんと異なるものでした。
とはいえ、きれいとか洗練されているとはちょっと言えない雰囲気。
大通りはまだいいのですが、小路を見れば、建物の大きさや古さなどから、どうしても暗い感じが漂います。
何か決定的なものがあるわけではないのですが、どことなく街全体が重たい印象があるのは否めません。

宿にはほとんど寝に帰るだけでしたので、どこに宿泊してもあまり気にならないだろうと思っていました。
しかし、思いの外街の雰囲気が心に影響を及ぼすようで、元気が出ないというか、良くも悪くも浮かれた感じにはなりません。
特に日中は高層ビル群で仕事をしていたので、そのギャップが大きかったのかもしれません。
今回は3泊だったのですが、最初の夜は宿泊場所選びにちょっと失敗したかなと、軽く後悔を感じるほどでした。

それでもありがたかったのは、宿の近所に銭湯スタイルの温泉があったことです。
温泉施設自体も小奇麗な感じだったのですが、なんといってもやさしい感じだったんです。
お湯もなんですが、それ以上に空気が。
空気がやさしい感じ。
何とも抽象的な表現ですが、なぜ空気がやさしいと感じたのか。
その理由に気づけたのは、3日目の夜でした。

都心では様々な振る舞いが洗練されています。
会釈の仕方、水の出し方、すれ違い方…
上品で洗練されている感じ。
お店などのサービスを提供する側だけでなく、その場にいるすべての人の振る舞いが気遣いであふれています。

いかにも場に合ったそれらの振る舞いですが、その存在理由としては、組織や集団など巨大なものの中で安心して存在していくための知恵なんだろうと思います。
簡単に言うと、「誰の内面にも立ち入らないから、私の内面にも立ち入らないでほしい」ということ。

ですから、相手には「自分は危害を加えるようなおかしな存在ではない」と伝わらなくてはなりません。
確実に相手に伝わるためにはどうすればいいか。
それには、何か客観的な物差しが必要なんでしょう。
そこで登場するのがマナーです。
あるいは、文化、風習といった方がより適切かもしれませんが。

マナーですから、できているかどうかの基準は自分にはありません。
マナーにいかに自分が合わせていくかが問題になります。
そして、うまく合わせていく人ほど洗練されているという評価を受けるわけです。
実際、洗練された多くの人がいました。
都会的な気分のよい気遣いにあふれていました。

ところが気遣いにも難しさはあります。
振る舞い方が決まっているものはいいんです。
問題になるのは、振る舞い方が分からないとき。
いわゆる不測の事態というものです。
あるいは、経験不足でどう振る舞ってよいかわからないという場合も含まれます。

マナーに合わせるのが気遣いですが、その合わせるべきマナーがない。
あるいは合わせるべきマナーがわからない。

そんな時、人は怖れの感情が自動的に出ます。
怖れがそのまま振る舞いに出る場合もあれば、怖れを隠すために怒りとなって表現される場合もあります。
している本人にも自覚されない微細な振る舞いですが、注意して観察していると、驚くほどたくさんの怖れや怒りが表出されています。

例えばこんな場面がありました。
ウェイターが席に案内するために客を促す。
ちょうど促すそのタイミングで、たまたま客が何かに気を取られて気づかなかった。
促したのに動かない客に、再びウェイターが促す。
気づいた客がウェイターのあとに続き席に向かう。

何気ないこんな場面ですが、ウェイターが二度目に促す直前。
一度促したのに客が動こうとしないことに気づいたその瞬間。
ウェイターの顔に怒りの表情が浮かびました。
そして、再び促すその声がどうしても固く強い声になってしまう。

ウェイターは自分の感情にも振る舞いにも気づいていないでしょうし、おそらく客も気になっていないと思います。
それほど小さな微細な表出ですから。
それでも、ウェイターの心にはネガティブな感情が走ったことには変わりありません。
意識に上がらなかったとはいえ、客の心象にもよい影響はないでしょう。

何より、洗練された振る舞い、気遣いを求められる場にいるということは、それだけでものすごいストレス下にいるということです。
どう振る舞ってよいかわからない場面がいつやってくるかわからないわけですから。
そして、そういう場面がやってきたら、自分は無力なわけです。
合わせるべきマナーがないわけですから。

一方の下町。
温泉には、風呂場の使い方とかが細々と書かれているわけではありません。
閉店の時間が近づいたからと、早く帰るよう促すアナウンスが流れるわけでもありません。
お客様は神様だといった雰囲気は微塵もありません。
客同士も、常連客が幅を利かせるとかそういった感じがまるでありません。
あるのはやさしい空気。
客も店もそれぞれがそれぞれに対して、できる範囲での思いやりを示していました。

疲れていそうな人のそばを通る時には、なるべく足音を立てないようにする。
脱衣所の床が濡れていたら、自分が濡らしたわけでなくてもふき取る。
忘れ物をしそうな人に声をかける。
一方で、余程の用でない限り声をかけない。
店の人がすぐに閉店準備に取りかかれるように、なるべく早く店を後にする…。

そこに相手が感謝するかどうかは関係ないんです。
基準はあくまでも自分。
自分がしたいことを自分のできる範囲でする。
だから、たとえ自分の振る舞いに相手が無反応であっても、怖れや怒りが顔を出すことはありません。
振る舞いに無理がないんです。

都心には洗練された気遣いが、下町には思いやりに満ちた心遣いがあふれていました。
そして、また下町に泊まりそうな自分がいます。


執筆者:カウンセリングMaNa 高島 昌彦

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