【コミュニケーション】

言葉がこころに及ぼす影響

高島心理カウンセラー

2020/7/7

前回のつぶやきでラジオのイタリア語講座の話題をしたところ、「私も聴いているんですよ」とか「7月からまた再放送になっちゃいましたね」といったメッセージをいくつかいただきました。
私の周りに聴いていらっしゃる方はいないだろうと思っていたのですが。
驚きとともに、一緒に学んでいる仲間が思いのほか多いことに嬉しさも感じています。

さて、そのラジオイタリア語講座。
私が聴き始めたのは今年の1月末のことでした。
その頃の講師は、ユーモアがありながらも誠実さとエレガントさを感じさせる女性講師。
その彼女の口癖が、「カンタンですね」
1日15分の放送の中で、必ず1回は口にしていたでしょうか。

イタリア語のアルファベート(アルファベットをイタリア語ではこう言います)もわからずにいた私は、こころの中で「そんなにカンタンでもないですよ」と口答えしながらも、気がつくと毎日欠かさず聴くようになっていきました。

そして、継続の成果でしょうか。
1か月が経ち2か月が経つにつれ、彼女の「カンタンですね」に、「確かにそこまで難しくないかな」とか「はい、カンタンです」などと返事をできる機会が増えていきました。
そして、そういう返事をできるというのは、やっぱり心地よいものですね。

ところが、残念ながら彼女の放送は3月で終了。
この4月からは、落ち着いた感じの、品のよい男性の講師に変わりました。
そして、その彼がよく口にすることば。
それが、「難しくないですね」

前任者の「カンタンですね」とかぶらないように、あるいはオリジナリティを出そうとする意図なのでしょうか。
それとも単に彼の口癖なのかもしれません。
ともかく、毎回のように必ずこの言い回しをしますから、意識的に用いているように感じられます。

講座のサブタイトルが、『ゆっくりじっくりイタリア語』とありますし、テキストやその番組構成から察するに、おそらくは「名詞や形容詞、動詞の変化等イタリア語の難しさに圧倒されるのではなく、気楽に少しずつでよいから学んでほしい」「これまで難しさで挫折した人にも、今度は楽しんで学んでほしい」こんな願いがあるのだと思います。
そんな願いからの、彼の言葉。
それが、「難しくないですね」

ただ、だとすると残念ながら逆効果なんです。
言葉がこころに及ぼす影響を考えると。

「難しくない」という言葉は前提を含みます。
それは、本当は難しいということ。

「(イタリア語は難しいけど、これは)難しくないですね」
「(イタリア語は難しいけど、こう理解すると)難しくないですね」
つまり、「難しくない」と言えば言うほど、イタリア語は難しいと暗示することになる。

例えば、「正しい」という言葉で考えてみましょう。
「正しい」の反意語はいくつかありますが、今回は「間違っている」で比べてみましょう。

「私たちは正しいですよね」
「私たちは間違っていないですよね」

どうでしょう。
同じことを言っているようで、何か違いを感じませんか?
比べてみると、「間違っていない」という言い回しに、被害者意識や後ろめたさといった、どこかネガティブな印象を感じとれると思います。
それは、「間違っていない」という表現に、「間違いはよくないことだ」という前提が含まれているからです。

また、「難しくない」には心理的に否定しにくいという問題もあります。
ちょっとイメージしてみください。
これから私があなたに2回問いかけますので、どちらの問いにも「いいえ、結構難しいですよ」と否定してみてください。
そして、こころの状態の違いを感じてみてください。
よろしいですか?


私:「今日のつぶやきの内容はいかがですか? カンタンですね」
あなた:「いいえ、結構難しいですよ」


私:「今日のつぶやきの内容はいかがですか? 難しくないですね」
あなた:「いいえ、結構難しいですよ」
 

どうでしょう?
何となく、②の方が「いいえ、結構難しいですよ」と否定するときに、躊躇うような気持ちを感じたのではないでしょうか。

もちろんコミュニケーションとしては、①②どちらに対しても否定は成り立ちます。
それでも、こころの状態に違いが生まれる。
それは、言葉の向かう先が違うからなのです。

①は、相手に向けて言うことができるんです。
「あなたはカンタンと言うけど、その判断はどうなんでしょう。私は難しく感じますよ。だって…」
こんな感じ。

一方で②。
こちらは、自分に向いてしまうんです。
「難しくないと言われても、難しく感じてしまうなあ。みんなは難しくないのに、どうして自分は難しく感じてしまうのだろう。きっとそれは…」
続きの言葉を考えてみてください。
どうやっても前向きな言葉は出てこないのではないでしょうか。

「自分は向いていないんだ」とか、「才能がないのだろう」とか。
こうして自信をなくし、劣等感が生まれてくるんです。

かといって、問いかけに否定せず「はい、難しくないです」と答えるのも苦しいんです。
難しいと感じている自分のこころに目をつぶるわけですから。
自己不一致と呼ばれる状態です。


「カンタンですね」
「難しくないですね」
言葉の意味は一見同じです。
ですが、意図するところは同じでも、その効果には大きな違いがあるということがお分かりいただけたでしょうか?
言葉がちょっと違うだけで、聞き手にかかる負担が大きく違ってくる。
まして一度だけではなく、何度も繰り返されるとしたら、聞き手のこころにどれほど大きな影響を与えることでしょう。

このイタリア語の男性講師はイタリア語の専門家ですから、このようなコミュニケーションや言葉がこころに及ぼす影響については知らないのでしょう。
知らぬまま、イタリア語の専門性を活かしながら、大好きなイタリア語を一人でも多くの方にわかりやすく伝えようと努力している。
がんばってはいるんです。

でも、だからこそ、人に教える講師という立場として、「イタリア語の専門性」と同じか、あるいはそれ以上に、「教える専門性」が大切になってくるのではないでしょうか。


「教える専門性」が求められる職としては、私自身がかつてそうであったように教師が挙げられます。
ですが、私は免許取得に際してこのような学びを受けませんでした。
そしてそれは、残念ながら現在も変わっていないようです。

本当は、学ぶ機会があればよいのですがね。
教える側のためにも。
そして、教わる側のためにも。

知っている人間がそもそも少ないから仕方がないとも言えるのですが、心理やコミュニケーションの学びを通して知ってしまった自分としては、お伝えしたい思いはあります。
お世話になった教育界に恩返しもできますし。
幸い初任者研修を始めとして教員は研修制度が充実していますので、呼んでいただければお伝え出来るのですが…。
教育委員会、あるいは学校で、こういったことに関心を持つ方はいないものでしょうか。


執筆者:カウンセリングMaNa 高島 昌彦

皆様からよせられた感想

  • 今回の内容は、私にとっては少し難しかったです(汗)
    この問いかけをされたら私の気持ちは…?と何度も想像してみたら、ようやくピンときました!

    正しいか、間違っているかは、その内容が判断しづらく重要な内容であるほど、「私たちは間違っていないですよね」と問われると、さらに相手を否定してしまうようで、「間違っていますよ」とはとても言いづらいと思いました。
    私だったら、まずは同意をして相手を傷つけないようにして、言えたら間違いを伝える、という方法をしていると思いました。その時に私には、相手に悪いなぁ…という重たい気持ちが残ります。

    間違いかもしれない物事の判断を、こちらに預けられ、相手の無責任さを感じることもあると思います。

    否定する言葉で相手に問いかける表現は、無意識に、自分も使ってきたと思うので、これをきっかけに、これからはポジティブな言葉での問いかけを増やしていきたいと思いました。

    人に何かを教える方々に、是非学んでほしいなぁ!と思いました。

     
  • 同じような言葉でも使う言葉によって、相手に負担をかけることになると改めて感じました。
    また同じ言葉でも、発する人の言い方や表情、また受け取る人によっても、良くも悪くも取れるのかな…と思いました。
    これからは相手に負担がないような言葉使いができるように心掛けたいと思います。

     
  • 「難しく無いですね」と「簡単ですよね」の決定的な違いは、その物事の根源が難解であるという、暗示が生ずるか否かではないかと考えます。
    難解な事を理解しやすく解説した事を相手に示すのが、「難しく無いですね」
    最初から難解だと捉えず、相手に理解を促し、その反応を問うているのが「簡単ですよね」
    ではないでしょうか。
    同じ意図でも、発する言葉で相手の捉え方、心象にはかなり差が出る事をあらためて感じました。

    難しいという潜在意識が、教える側からの言葉による暗示にかかるとさらに難しく感じる。
    自分1人で何かを考察していても、難しい案件だなあと思っていると、ますます難しく考え、出口の無い、思考の循環に陥ってしまう一方で、難解と思わずに(例え難解な案件でも)シンプルに捉えてみると、解決の糸口を見つけやすい、、、
    などと思いを巡らした次第です。

    言葉が相手の心理に与える影響は大きいとあらためて感じました。
     

  • こんにちは
    つぶやき、ありがとうございます✨
    言葉がこころに及ぼす影響、とても興味深い視点でした。

    そして、意識的に言葉を発する=丁寧に生きる
    というイメージが浮かびました

     

  • 言葉って
    一人ひとりの状況だったり、感情だったり、経験だったり、個性だったりで
    受け取り方や理解はさまざまだなぁと
    私は思います。

    教えて頂いたフェルトセンスだったりこれは自分の経験を活かせられるかも!と閃き、試してみたり
    先生方お二方から
    こんなアドバイスをいただいた
    友人や知人にこんな事言われてたっけ!なんかを記憶を辿りながらやってみる。
    (時には辛くて嫌になるし、マイナスな感情にもなる)

    そうするとよく出来ることもあれば、
    ふっと気がつくと周りがみえなくなっていて(多分自分が正しいとか自分勝手になりすぎてしまってるのかも?)

    一つに過集中し、自分の考えに凝り固まっていて反省したり。
    そしたら改善策を思いついたり

    私の場合は両親や妹との関わり方で
    こんな感じでトライアンドエラー
    の繰り返しの日々です。

    何だかつぶやきの感想から
    私の気づきやら愚痴やらになってしまいましたね
    失礼しました

ごあいさつ

丹下坂心理カウンセラー
高島心理カウンセラー

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