【コミュニケーション】

「なんか・・・」

高島心理カウンセラー

2017/ 04/ 11                 

野球好きな少年と、いつの間にやら仲良しになりました。
最近は顔を合わせると、にっこにこの笑顔でやってきて挨拶をしてくれます。
一緒にキャッチボールなどもします。
はじめの頃はしてあげてたんですが、近頃はこちらの方ががむしろ楽しんでいるかもしれません。

で、その少年の口癖が、
「なんか・・・」

高島:「何年生なの?」
少年:「あっ、4年生です」
高島:「どこの学校?」
少年:「えっ? なんか・・・あの、〇〇小学校です」
高島:「〇〇小学校かあ。おっ、かっこいいバットだね」
少年:「あっ、なんか・・・姉が買ってくれました」

ほとんどの確率で「なんか・・・」が出ます。

別に「なんか」がなくても、日本語的には通じるわけですから、「なんか」って言わなくていいのにとおかしくなっていました。

ところが、少年だけではなかったんです。
私もやたらと「なんか」と話しているんです。

「あいつになんかわからない」
といったように、「なんか」が言葉として意味を持つ場面は意外なほど少ないんです。
ほとんどが、無意味な「なんか」。
その不必要とも思える言葉を私はえらく話しているんです。
あんまり愉快な気づきじゃない。

そして、もう一つ。
こちらの不満の方が大きい。
それは、意図していないこと。

気づきというのは時に面倒なものです。
意図しない「なんか」が私の口から、それはそれは頻繁に出るので、いい加減うんざりしていました。「なんでこんなに必要のない言葉を話してるんだろう」

ところが、ふと気づいたのです。
「なんか」が言葉として不必要と思えるなら、非言語と捉えたら・・・と。

やっとわかりました。
「なんか」は無意味などではなかったのです。
その証拠に、「なんか」が口から出るときには特徴があります。

私の場合、自信がない・遠慮がある・好感を得たいといったときに、「なんか」が使われるようです。つまり、「なんか」は言葉としては無意味に近くても、心の状態を読み解くよい材料になるのです。

この観点で人と関わってみると、みなさんけっこう使ってます。
少年ほどでないにしても、かなりの頻度で「なんか・・・」と話してる。
そして、その「なんか」には本心が表れている。

「なんか」を非言語として捉える。
けっこうおすすめです。


執筆者:カウンセリングMaNa 高島 昌彦

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