【コミュニケーション】

ふつう、こうするよね?

丹下坂心理カウンセラー

2018/11/06

オーストラリアで暮らしていた時、国籍の違う何人かの人で一軒家をシェアして過ごしていた時期がありました。

インドネシア、オランダ、スウェーデン、イギリス、韓国、日本そして、もちろん地元オーストラリアも。誰かが引っ越していくと、また新たな人が入ってくる。毎日が異文化交流の日々でした。

ある日の夕食後、オーストラリア人のスティーブが後片付けをしていました。洗剤をつけたスポンジで食器を洗っています。何気ない、ありふれた夜の光景です。しかし、お皿を数枚洗ったところで、正確に言うと、洗剤をつけたままの食器をそのまま流しの脇にある食器置きのところに立てていった時、違和感を覚え、咄嗟に彼に尋ねた。

「スティーブ、なぜ洗剤のついた皿を洗い流さないの?」
「なぜ洗剤のついた皿を洗い流す必要があるんだ?洗い流さなくたって、洗剤はそのまま下に落ちていくだろう?」

彼は、怪訝そうな顔で、なおも続ける。
「オーストラリアの南部の方はそうでもないけど、北部の方は乾期の時期はいつも水が不足する。水は大切に使わなければならないんだ。自然に落ちていく洗剤を洗い流すために水を使っていたら、水がもったいないだろう?」

なるほど、彼の言うことはもっともである。
確かに、洗剤は重力に従って自然と下に落ちていく。
節水にもなる。1週間、1か月と長い目で見れば、相当の水が節約できることも容易に想像がつく。

しかしである。
洗剤をつけて食器を洗い、その後その洗剤をきれいな水で洗い流していく、これが食器を洗うということだと長年信じて疑わなかった自分にとって、彼の理論は実に新鮮であるとともに、なかなか受け入れ難いことでもあった。

こんなこともあった。
とある小学校で語学のアシスタントとして働くことになった。学校の主なねらいとしては、外国人と直接触れることを通して異文化理解を深める、こんな感じであった。

何はともあれ、初日に打ち合わせで小学校に出向き、これからのスケジュールの打ち合わせをし、終わりに子どもたちの様子を見るため担当の先生と校内を回って歩くことになった。

日本の小学校と同じで、教室や廊下には子どもたちの作ったであろう作品が所狭しと並べられている。絵画、粘土作品、モールを使った作品など、実に色々な作品が目に飛び込んでくる。

半分くらいの学年を回ったところで、ふと、あることに気がつき、一緒に回っている先生に聞いてみる。

「みんな違う絵を描くんですね!」

その私の発言を聞いた途端、担当の先生はびっくりした様子でその場に立ち止まった。
「なんでみんな違う絵を描くのかって?それが当り前でしょ?なんでみんな同じ絵を描かなきゃならないの?」

日本では、全国的にどこの小学校でもほとんど例外なく、1年生は消防車、2年生は花、高学年になると校舎や近くにある建物や風景を描くのだと説明したら、先ほどの驚きの表情が益々色濃くなっていくのがはっきりとわかった。

「なぜみんなで同じ絵を描かなきゃならないの?芸術って、一人ひとりの表現したいことを形にするわけでしょ?みんなが同じであるはずがない!もっと言えば、絵で表現したい子もいれば、言葉で表現したい子もいる。葉っぱで色を作る子もいる。自分の想いを自由に表現することが芸術でしょ?みんな同じ絵を描くなんて信じられない!」

寸部違わず、おっしゃるとーり!である。
先の洗剤を洗い流さない話も、子ども一人ひとりが違う絵を描く話も、日本に生まれ育った私にとっては文字通りカルチャーショックであった。

と同時に、その違いをすんなり受け入れている自分もいた。
自分の思う「当たり前」「ふつう」がこんなに違うにも関わらず、である。

なぜだろう?

もし日本人が彼らと同じ考えを持ち、行動したとしたら、
「洗剤のついた食器は洗い流すのがふつうでしょ?まして口に入るものを盛るものなんだから。ちゃんとすすいで!」
そう言っただろうし、
絵画に関しても何の疑いもなく、
「細かい部分までよく見て描いてごらん。タイヤから描くといいよ。(実際に小学校の教員をしている時に指導した記憶があります)」
余計ともとれるアドバイスをしたことだろう。

私たちの中には相手が日本人なら「ふうつ、こうするよね」という暗黙の了解、違う角度で言うと、自分の思う「ふつう」を相手も同じように思っているであろうという「期待」が隠されているわけである。

ところが、異国に暮らす異文化をもった人には、外国人というだけでその「ふつう」が通用しない、要するに最初から「何の期待もない」のである。
だから、自分の「当たり前」「ふつう」は、意図も簡単に受け入れられたのである。

あなたが「合わない」と感じているあの人は、あなたの思う「当たり前」「ふつう」と、その人が思うそれらとが違うのではないだろうか?
そこには、「こうするのがふつうよね」という「期待」が存在していないだろうか?

外国人でなくとも、違う環境で育ってきた人はたとえ同じ国の人間だろうと、みな違った外の国の人。そう考えると、ちょっと気が楽になるかもしれない。

もっとも、私のまわりには、「違った星の人」が何人かいるが・・・


執筆者:カウンセリングMaNa 丹下坂 愛実

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