【コミュニケーション】

前提を手放す

高島心理カウンセラー

2019/1/8

平成最後の年が始まりました。
児童相談所のメンタルフレンドとして初めて不登校と関わったのが平成4年です。
ですから、私が不登校に携わるようになって、25年以上。
四半世紀が過ぎたわけです。

この四半世紀で、不登校を取り巻く状況にずいぶんと変わった面もあれば、ほとんど変わっていない面もあります。
変わった面で言えば用語。
当時は「登校拒否」が一般的でした。
新聞やテレビでも、普通に「登校拒否」と報じていました。

「不登校」という言い方が少しずつ広まった当初、先輩から「いい言い方だよな」と同意を求められたことをよく覚えています。
当時、まだ私は「不登校」という言葉に馴染んでいないこともあり、そうですかねえと曖昧な返事をしました。
登校していない状況という意味を表す「不登校」という用語に、どことなく投げやりな印象を持っていたからです。
問題の責任を曖昧にして、誰も責任を持たない感じ。

私が当時「不登校」という用語にこのような印象を持っていたのは、前提として「登校すべきだ」という意識があったからでしょう。
私だけではなく、社会全体がそんな意識だったように思います。
だから、その先輩の発言をずいぶんと変ったものとして覚えているんです。

それから四半世紀。
今さらながら、その先輩の慧眼を感じます。
私も今は、心から不登校という表現をよいものと感じます。
それでは、社会の受け止めは?

用語としてはすっかり変わりました。
「登校拒否」という言葉を耳にすることは全くなりました。
ですが、「登校すべきだ」という前提の方は、ほとんど変わっていないように思います。
家庭も、学校も、何より本人も。

お会いする保護者の方は皆苦しんでいます。
「このまま学校に行かなかったら、この子は将来どうなってしまうんだろう」と。
そして、そのような子に育ててしまったと自分を責めています。

学校は困っています。
不登校の子がいるというのは、学校にとって都合が悪い。
だから、学校としては一生懸命やっているというのをどうしてもアピールしなければならなくなる。
特に担任は大変です。
ともすると、自分が悪いと責められているように感じてしまいます。
中にはそれが過ぎて、子どものせいにする教員もいるのが現実です。

そして、本人。
自分はとんでもない怠け者なのではないかと落ち込んでいます。
このままでいったら将来はどうなってしまうのかと不安でいっぱいです。
なのにどうにもならないダメな自分。
そしてそのダメな自分のせいで周囲の人を苦しませている。
全ての辛さを抱えて、すべて自分の責任で、なのにどうすることもできないダメな自分。
ものすごく苦しいあきらめの境地に陥っています。

家庭、学校、そして本人。
それぞれがそれぞれに苦しんでいます。
何が起きているんでしょう。


結果にばかり目が行っているんです。
学校に行っていないという結果に。
そして、その結果には前提がある。
学校に行くべきだという前提が。
 

結果ありきではうまくいきません。
それでうまくいくぐらいならこんなにも苦しんでいないはずです。
誰かが怠けているわけでも、意志が弱いわけでもないんです。
ただ何かが起きている。
そして、それはとても大切なこと。
だからそれに気づいていきたいんです。
そうすれば、自然と結果がついていくようになります。

結果を変えるんじゃない。
気づいたら、自然と結果が変わっていくんです。
 

カウンセリングMaNaでは、大人だけではなく子どものためのこころの学びの場として『こころ塾10代コース』も実施しています。
不登校の子に安心・安全なこころの学びの場をというのが、始めた理由でした。
ところが、始めてみて違うことに気づきだしました。
不登校の子だけじゃない。

考えてみると、私たちはいつの頃から、いつも結果ばかりを求めらるようになりました。
それは子どもも同じことです。
そして、結果を求められるということは、結果通りにいかなければ否定されるということです。

 

学校では基本的に勉強しか学ぶことができないけど、今日のこころ塾ではみんなが考えてること(自分には発見することができなかったこと)を学ぶことができたので楽しかったです。
最後に読んでもらった本では、愛の大きさは体では表現できないものなんだと知ることができました。私も大切な人ができたら、表現するのは難しいけどちゃんと伝えられたらいいなと感じました。
  Kさん(13)

普段、何気なく過ごしている中に、たくさんの幸せや、気付いていないことがあると、改めて感じさせられた。言葉では表し切れない感情、それをいかに想っている相手に伝えられるか、これからいろいろ自分で考えてみたいと思った。
今回の、「幸せ」と「好き」という2つは、考えれば考える程、奥が深くて、周りの意見もとても素敵で、心にいい刺激になった。
  Mさん(19)

 

めいそうをしてみて、自分がふだん気付かない事が心に返ってくるような気がしました。絵本「どんなにきみがすきだか」を聞いて、愛は言葉や体で表現できないことが分かったので、これから人生でかべにぶつかった時、また学んだことを思い出したいと思います。
  T君(11)

自分の意見を否定される心配がなく、むしろ拍手をもらえるので、隠さず思いを言える場だなと思った。
年下の子たちの意見や気持ちを聞くことで、自分の中の固定がいねんを崩してくれて、新しい物事の見方ができるようになりそう。真っ白な気持ちで相手の意見を受け入れるのは大事だなと思った。
  Hさん(21)


10代の子どもたち(中には成人もいますが)が、結果を見るのではない大切さを、結果を見るのではないから、否定する必要もなく、すべてを自然と受け容れられることの大切さを教えてくれてます。

なんだか、こころ塾10代コースの宣伝のようになってしまいました。

こうなって欲しいと結果を求めるときには、
いつも、「〇〇であるべきだ」という前提が知らず知らずのうちにあるという話です。
そして、その前提を手放さないことには、いくら結果を変えようと思っても変わりません。
むしろ、前提を手放すことです。
変わる結果であれば、前提を手放すことで自然と結果が変わってくる。
こういうことをお伝えしたかったんです。

なお、次の期のこころ塾10代コースは4月開始予定です。


執筆者:カウンセリングMaNa 高島 昌彦

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