【性格・こころの仕組み】

不合格のエネルギー

高島心理カウンセラー

2019/11/5

先日受けた、認定試験の通知が来ました。
(認定試験についてはこちら 緊張の対処法

結果は不合格。

これを知ったのは、お客様を乗せて札幌に移動中のとき。
車を停めて休憩中に、メールをチェックすると不合格の通知がありました。

まず初めに感じたのは驚き。
合格するものだとばかり思っていたので、事態を呑み込めないわけです。

それからしばらくすると怒り。
「どうしてあれで不合格なんだよ!」
「合否の基準はどうなってるんだ!!」
合格するものだとばかり思っていたので、事態を受け入れられないわけです。

不合格の通知メールを見たのが洞爺の道の駅。
そこから定山渓あたりまでの1時間。
お客様が乗っているので何事もない様には装っていましたが、ずいぶんとネガティブな感情を味わっていました。

一言でいうと、自分という存在の否定。
「お前はダメだ」という。
 

合格するという見込みには、私なりに根拠があったんです。
仮に、その当時の講師としての私の力量が80点だとします。
するとその団体には、もっと上がいるわけです。
92点とか、98点とか。

とても現状では及ばない。
大変優秀な方々です。
それは素直に認められます。

一方で、そうではない合格者も何人かいるわけです。
点数にすると、60点くらいとか。

ちなみに、これは特段私が優れているということではありません。
私は日常的に講座やこころ塾の講師を務めていますから、ある意味当たり前なわけです。

だから、何もしないでも合格するだろうという予測があったんです。
さらに、その上で、念には念を入れて備えたんです。
不合格が嫌だったから。

それなのに、不合格だった。
 

道中は紅葉が見事です。
車内でも、「わあ、きれい」という声が何度も上がります。
それに応じながら、そしてハンドルを握りながら、自分のこころの動きを観察していました。

不合格を知ったショック。
その後の怒りの感情はしばらく続いていました。
「基準はどうなってるんだよ!!」というやつ。

そして怒りの感情は具体的な行動を告げます。
「もう受けなくていいよ。だって、基準がおかしいもん!」

この思いに耳を傾けると、それなりに楽な感じがします。
問題から遠ざかることができるからでしょう。
不合格とか再受験といった現実から。

(こうやって感情が行動を決めていくのか…)
ハンドルを握りながら、こころの観察を続けていました。

ついでながら、今回は貴重な体験になりました。
運転中なので、心理分析やら心理ワークを自分にできないわけです。
厳密にはできないわけではないですが、運転が疎かになってしまう怖れがある。
それに感情が大きくて、すぐに対処する気分になれません。
ですから、ただ客観的にこころの動きを眺めていたんです。

さて、怒りの感情がある程度収まるとともに、わいてきたのは悲しみです。

それは、会社の人たちに対する「申し訳ない」という思いから始まりました。
お金や時間を私に投資したのに、回収できないわけですから。
気遣いもたくさんもらっていましたし。

すると、期待をかけてもらっていたのに期待に応えられなかったという景色が見えてきます。
「おれはダメだ、価値がない」
自分という存在の否定です。

また、不合格にならないように努力がしたのがよくなかった。
努力していなければ、言い訳ができるんです。
でも、努力したのに不合格となると言い訳ができない。

意味するところは、能力がないということでしょう。
ますます、存在の否定になるわけです。
 

ブナの生えない道央の紅葉は、道南とは違った趣があります。
本当に美しい。

なのに、美しいと感じているのに、こころが苦しい。
美しいものに感動できない自分がますます惨めになっていきます。
 

それでも、こころの違う場所では違う思いもわいています。
(不合格というのはものすごく苦しみを生むんだなあ。これは「つぶやき」に書いた方がいいかな? 受験生やその親御さん、先生方に役立つかもしれないし…)

ずいぶん冷静な、ある意味場違いな自分の思いがわいているわけです。
怒りや悲しみの感情に圧倒されていたときには気づけなかった思い。
裏を返せば、怒りや悲しみに圧倒されていただけで、それ以外の部分では変わらずたくましい自分もいるわけです。

「そもそも何を目指しているんだ?」
怒りや悲しみの感情はまだありながらも、こんなことを考える自分もいます。
そして、今回はこの思いが一気に突破口になりました。
不合格の捉えが変わったんです。

「自分は何を目指しているのか? 90点? 95点?」

実はその協会には超一流の方々がいます。
190点とか、220点とか。

すると、こんな気づきがうまれます。
「自分はどうしてそこを目指していないのか?」

「あまりにレベルが違うから?」
「自分の現状は80点だから?」

するとこんな気づきが生まれます。
「自分で自分に制限をかけている⁉」

そう、合格を目指すあまり、もっと高みに行けるかもしれない自分に気づいていなかったんです。
全く視界に入っていませんでした。
超一流の彼らの存在は。
 

彼らだって、初めから超一流であったわけではないでしょう。
努力して、研鑽を積んでそこまで至ったはずです。

「自分もそこを目指せばよいではないか?」
エネルギーがわいてきます。

確かに才能というのもあるかもしれません。
でもそれは試してみなくてはわからない。

「試した結果、超一流の彼らに及ばなかったとしたら?」
そんな怖れもわきましたが、すぐに消えました。
私の目標は彼らを超えることでないから。

テストが100点満点と決めてかかっているのは自分なんです。
自分でそう決めつけて、人と比較して、喜んだり悲しんだり。

そうではなく、自分のベストを追求していけばいいんです。
その結果が150点でもいいし、300点でもいい。
自分が納得できれば。

もちろんそこに至るには努力が必要でしょう。
ですが、それは自分が高まる前向きな努力。
精進と言ってもよいのですが、どことなく苦しそう。
やっぱり、追求という言葉がぴったりです。

不合格という苦い結果が、自分を追求するエネルギーをくれました。
合格していたら、あることにも気づかなかった景色が見えています。
楽しくなってきました。


執筆者:カウンセリングMaNa 高島 昌彦

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